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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(あ)22号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人井上二郎の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にし本件に適切でないから、所論は前提を欠き、同第二点は、いずれも単なる法令違反の主張であつて、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、上告趣意第二点の二にかんがみ、職権により調査すると、原判決は、第一審判決が罪となるべき事実として引用する起訴状添付犯罪事実一覧表回数番号29と同30の各運転区間欄の記載につき、これは交互に入れかえて記載した明白な誤記であると認めている。ところで、判決書に明白な誤記があるというためには、判決書自体又は記録に照らし、少なくとも、当該記載が単なる表現上の誤りであることが明らかであるとともに、判決裁判所の意図した記載が一義的に明確であることを要すると解すべきところ、記録によれば、前記両欄の記載は、第一審裁判所の事実認定の誤りに由来するとも解されるから、単なる表現上の誤りであることが明らかではなく、したがつてまた、第一審裁判所の意図した記載が一義的に明確であるともいえない。そうすると、原判決が右各記載を明白な誤記と認めたのは誤りで、原審としては、前記二回の運転区間につき第一審判決には事実誤認の疑いがあるとみるべきであつたと解される。しかしながら、被告人が、前記二回の両日とも、公訴事実記載の運転区間の一部である大津市汐見町二一の九サコ運送株式会社倉庫事務所前附近道路において貨物自動車を運転したことにより無免許運転の罪が成立することに変わりはないから、第一審判決の右事実誤認の疑いは、第一審判決に影響を及ぼすことが明らかであるということはできない。したがつて、原判決が右のような事実誤認の疑いがあるにすぎない前記両欄の記載についてこれを明白な誤記とみたのが誤りであるからといつて、原判決の右違法は、判決に影響を及ぼすべきものとはいえず、原判決破棄の理由とはならない。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(天野武一 江里口清雄 高辻正己 服部高顯 環昌一)

弁護士井上二郎の上告趣意

第一点 〈省略〉

第二点 原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一、刑事訴訟法二五六条三項の違反

(一) 本件起訴のうち公訴事実第一、第二のものは、訴因の特定を欠き、起訴状は無効であり、実体判決をなしえないものであるところ、右本件訴因が特定している旨の判断をなした原判決は、前記のとおり判例に違反するばかりか、刑訴法二五六条三項の解釈適用を誤つたものである。

第一審判決は、罪となるべき事実として公訴事実をそのまゝ引用している。したがつて、本件訴因が不特定であるとみるべき理由は、前記上告理由第一点で述べた判示事実不特定の理由のとおりであるので、これを援用する。

(二) このように、時間の記載もまつたくなく、場所も極めて不明確では、事実を各個に特定して他と区別し、審判の対象を提示するための「訴因の明示」がなされているとは到底みられない。

いうまでもなく、法が訴因の明示を要求しているのは、被告人に自己の行為のうちいかなるものが起訴されたのかを明示し、防禦の範囲を知らしめ、そして審判の対象を提示するためである。

時間をまつたく示さず、場所も不明確な本件訴因によつては、被告人にとつては各運転日の運転行為のどれが起訴されたのかまつたく不明である。

(三) さらに付言すれば、無免許運転の罪は継続犯である(東高判昭27.5.20・高判特報34・26)。継続犯はいうまでもなく当該行為が一定の時間継続することが構成要件とされているものである。したがつて継続犯においては訴因を明示するにはその行為の始期と終期を示すことが必要である。即ち時間の明示はこの点からも不可欠といわなければならない。

(四) 右のとおりであるから、本件訴因をもつて特定に欠けるところがないとした原判決は、刑訴法二五六条三項の解釈適用を誤つたものというべく、その誤まりは判決に影響を及ぼすものであることも明らかである。

よつてこの点からも原判決は破棄されるべきである。

二、刑事訴訟法三九七条一項の違反

第一審判決には明らか且つ重大な事実誤認があるにもかゝわらず、原判決はこれをもつて「誤記」として済ませて、第一審判決を破棄していないのは刑訴法三九七条一項に違反するものである。すなわち――、

(一) 第一審判示一覧表回数番号29には、昭和四九年四月三日の運転場所として「右同社出発泉南郡阪南町ほか約四〇キロメートル」と記載されている。ところが、第一審判決が右同日における運転場所認定の根拠としたとされる「運転作業日報」(押収符合(一))によれば、右昭和四九年四月三日は「出発地関西帆布分工場、到着地大塚家具四国徳島工場」と記載されている。到着地が「四国徳島」と書かれている日報から「泉南郡阪南町ほか四〇キロメートル」(泉南郡阪南町は大阪府下にある。)なる事実を認定するのは明らかな誤まりである。

前記「日報」の四月三日分、四月四日分と判示事実の四月三日、四月四日の運転区間欄の記載をみれば、なるほど原判決のいうように四月三日のそれと四月四日のそれが交互に入れかえて記載されたものと推認される余地がないわけではない。

(二) しかしながら、第一審判決における右の誤まりが明白であるにもかかわらず、第一審判決を破棄しないで、いとも容易に「誤記」であるとして済ませることは重大な違法といわなければならない。

なぜならば、もし、本件第一審判決が確定すれば、被告人は昭和四九年四月三日には四国の徳島で運転しているにもかかわらず、確定判決の面では大阪府下の「泉南郡阪南町ほか四〇キロメートル」で運転したとの事実が確定され、既判力はその事実の範囲にしか及ばない(本件各運転日ごとの各運転につき各一罪が成立しこれらが併合罪の関係にあるとみられるから。)。そしてもし、後日、右四月三日の真実の運転場所である「四国徳島」における運転行為が起訴されたらどうなるのか。いうまでもなく大阪府泉南郡と四国徳島は海を隔てた別の場所である。

原判決のいう如く、四国徳島での運転は大阪府泉南郡における運転とは「全く別異の場所で、別の機会になされた運転」とみられ、二重起訴とは判断されないであろう。逆に、四月四日の真実の運転場所は大阪府下にみられるから、四月四日の大阪府下における四〇キロメートルの運転が徳島における運転とは「別異の場所」における運転となるであろう。

まして本件判決の事実判示には運転時間がまつたく示されていないのであるから、「別異の機会」の運転かどうかももつぱら運転場所によつて判断されることにならざるを得ない。

かくて被告人の「二重の危険」は極めて大きいものとなつているのである。

「誤記」として済ませられるのは、第一審判決の事実摘示自体によつて誤記であることが明白である場合に限られるのである。

前記のとおり第一審の事実誤認が明白であるにもかゝわらず、これを単に「誤記」として破棄しなかつた原判決は、前記のとおり被告人の二重の危険に対する考慮をまつたく忘れた重大な違法を犯すものといわなければならない。

(三) 本件の如き、明白な事実誤認を「誤記」で済ませることは、犯行時間も示さず、しかも犯行日の記載を入れちがえたとされるような杜撰な起訴と、これをチエツクすることもなくそのまゝ認定した一審判決の「救済」にはなつても、被告人にとつては前述した意味で「二重の危険」のおそれを強いられる結果となるのである。

原審は、以上述べたところを考慮すれば当然第一審判決を破棄して(または破棄自判して)、一審の本件事実の誤まりを是正させ、もしくはみずから是正すべきものである。

この点において原判決は刑事訴訟法三九七条一項に違反すること明らかである。

なお、付言すれば、本件の如く四月三日と四月四日の判示事実が明らかに誤まりであることを認めておきながら、これをいとも容易に「誤記」として不問に付する原判決の態度は、国民一般がもつ刑事手続と刑事裁判の厳格性のイメージと期待にもおよそそぐわないものであろう。

右のとおりであるから、原判決は破棄さるべきである。

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